唱歌
「唱歌」は、明治以降、主に当時尋常小学校や高等小学校の音楽教育のために作曲されたものです。
「唱歌」は、それまで、日本音楽の琴や笛、尺八などのメロディを口三味線と言われる声で表したもののことで、「しょうが」と言われていました。
文部省唱歌と言われているものは、明治から昭和にかけて、文部省が、新しい曲の作詞作曲を依頼して、「尋常小学唱歌」「高等小学唱歌」の教科書を使い、広めました。
文部省は「国」が作った歌であるということを強調したかったためとも言われていて、作詞者、作曲者に多額の報酬を渡し、名前を公表せず、作詞作曲者も一切口外しないという契約を結んだとされています。
歌詞に至っては、話し合いによって手を加えられたり、時代の変化とともに変えられることもあり、個人が作詞したとすることは無理があり、作詞作曲者不明とされている曲が多いです。
今では、「文部省唱歌」と記載されることが多いです。
明治時代、西洋の進んだ音楽教育を取り入れるのに、ヨーロッパ諸国の外国民謡などの曲を教育的な詞をつけて「翻訳唱歌」と呼ばれることもありますが、訳詞ではありません。
アメリカの音楽教育でも、もとの曲に教育的な詞をつけられることが多かったようです。